外岩関連
GW特集~ちょこっと昔話Part3~
今日あたりで最後になるか?~ちょこっと昔話~。
え~、私がクライミングを始めたころ、ようやくクライミングジムというものが巷に出るか出ないかという時期でした。大学三年の夏休み(1992年夏)、上京した際、初めて遊びに行った”Tウォール”さんもできてまだ間もない頃でした。”Tウォール”さんはクライミングジムでは草分け的存在で、本格的商業ベースのクライミングジムとしては、関東で最初のお店と言っても過言ではないと思います。面倒くさそうに受付けしてくれた方が、かの寺島由彦氏で(失礼ですみません。その際「前に沖縄の外人とあったよ」って話してくれました。それが、前述のR.DAVIDで、DAVIDが1991年、東京で行われたワールドカップを見学しに行った際、偶然、寺島社長とお会いになったみたいです。)が、、そこにいたメンバーもすごい。大岩夫妻(お世話になっております、本人たちは存じ上げてないと思いますが、初対面はこの時)、吉沢央志氏(分かる人は、オールドなのかな?)、大工英晃氏(いろいろ逸話がありすぎて書けません。)等々、そうそうたる、メンバー。「お~、雑誌(岩雪、ジャーナル)で見る人たちばかりだ・・・」と感動しつつ『なんで昼間からこんなところでぶらぶらしてんだろう・・・』って思ったものでした。
それはさておき、大都会「東京」近辺でもそんな状況であったのに、地方も、しかも沖縄でジムなんてまずありえません。そこでわれわれが注目したのが、石垣。ま、発見といっても、ジムが今のようにできる前は、関東でいえば「常盤橋」、関西であれば「大阪城」ってな具合で「都会の岩場」で皆、技を鍛えたものでした。我々もそこに活路を見いだし、石垣を攀じりました。
そこでまず注目したのが、「森川公園」。

我が学び舎、琉球大からもすぐ側で、眺望も抜群。高さも程よく、ボルダーに最適でした。
皆でよく通っては、ワイワイ登ったものでした。古きよき思い出。実は私が部誌に提出した、手書きのトポも残ってます。もしかして貴重品かも?

オススメ課題は「モンキージレンマ」。確か、五年ぐらい前に、学生達と登りにいった際、また、やりました。難しい、易しいとは別で、こう青春の想い出が形が変らず残ってくれることはありがたいことです。以前どっかで文書を書いた「キムジレンマ」のトポも出てきました(これまた紹介します)。
単に、ボルダリングに勤しむだけでなく(大体当時はボルダリングは、本当にトレーニングの域を出て
いなかったと思います)、石垣の割れ目でナッツをかまして支点をつくる練習や、その支点で懸垂下降、脱出等々、ロープワークをつんだものです。よく「いや~、いろいろ練習しようと思っても、場所がなくて・・・」と聞きますが、アイデア次第です(他人に迷惑をかけてはダメですが・・・)。その後、某石垣展望台で、ソロイストを使い登攀練習したりして北部の某絶壁をトライしたりしました。
しかし、まあ、本末転倒というか、その後岩場を探すというよりも、よりよい石垣を探すという方向に走り出し、最後は、某S城(今では世界遺産。いわずと知れたです)で、警察に保護されるまで続きました。当時の警察の皆様、ご迷惑おかけしてスミマセンでした。
え~、私がクライミングを始めたころ、ようやくクライミングジムというものが巷に出るか出ないかという時期でした。大学三年の夏休み(1992年夏)、上京した際、初めて遊びに行った”Tウォール”さんもできてまだ間もない頃でした。”Tウォール”さんはクライミングジムでは草分け的存在で、本格的商業ベースのクライミングジムとしては、関東で最初のお店と言っても過言ではないと思います。面倒くさそうに受付けしてくれた方が、かの寺島由彦氏で(失礼ですみません。その際「前に沖縄の外人とあったよ」って話してくれました。それが、前述のR.DAVIDで、DAVIDが1991年、東京で行われたワールドカップを見学しに行った際、偶然、寺島社長とお会いになったみたいです。)が、、そこにいたメンバーもすごい。大岩夫妻(お世話になっております、本人たちは存じ上げてないと思いますが、初対面はこの時)、吉沢央志氏(分かる人は、オールドなのかな?)、大工英晃氏(いろいろ逸話がありすぎて書けません。)等々、そうそうたる、メンバー。「お~、雑誌(岩雪、ジャーナル)で見る人たちばかりだ・・・」と感動しつつ『なんで昼間からこんなところでぶらぶらしてんだろう・・・』って思ったものでした。
それはさておき、大都会「東京」近辺でもそんな状況であったのに、地方も、しかも沖縄でジムなんてまずありえません。そこでわれわれが注目したのが、石垣。ま、発見といっても、ジムが今のようにできる前は、関東でいえば「常盤橋」、関西であれば「大阪城」ってな具合で「都会の岩場」で皆、技を鍛えたものでした。我々もそこに活路を見いだし、石垣を攀じりました。
そこでまず注目したのが、「森川公園」。

我が学び舎、琉球大からもすぐ側で、眺望も抜群。高さも程よく、ボルダーに最適でした。
皆でよく通っては、ワイワイ登ったものでした。古きよき思い出。実は私が部誌に提出した、手書きのトポも残ってます。もしかして貴重品かも?

オススメ課題は「モンキージレンマ」。確か、五年ぐらい前に、学生達と登りにいった際、また、やりました。難しい、易しいとは別で、こう青春の想い出が形が変らず残ってくれることはありがたいことです。以前どっかで文書を書いた「キムジレンマ」のトポも出てきました(これまた紹介します)。
単に、ボルダリングに勤しむだけでなく(大体当時はボルダリングは、本当にトレーニングの域を出て
いなかったと思います)、石垣の割れ目でナッツをかまして支点をつくる練習や、その支点で懸垂下降、脱出等々、ロープワークをつんだものです。よく「いや~、いろいろ練習しようと思っても、場所がなくて・・・」と聞きますが、アイデア次第です(他人に迷惑をかけてはダメですが・・・)。その後、某石垣展望台で、ソロイストを使い登攀練習したりして北部の某絶壁をトライしたりしました。
しかし、まあ、本末転倒というか、その後岩場を探すというよりも、よりよい石垣を探すという方向に走り出し、最後は、某S城(今では世界遺産。いわずと知れたです)で、警察に保護されるまで続きました。当時の警察の皆様、ご迷惑おかけしてスミマセンでした。