登攀処 珊瑚屋

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外岩関連

GW特集~ちょこっと昔話Part2~

え~、皆様からのありがたい反響もございましたので、また~ちょこっと昔話Part2~を語らしていただきます。

沖縄のロッククライミングはいつから始まったのか?はっきりした資料も現在なく、また、詳しく知っている方もいらっしゃらないのではないかと思っています。私なのなどもいろいろ昔話で聞きはするのですが、どうもはっきりわからない。明確なところでは、「岩と雪」119号のクロニクルで沖縄山岳会の座津武での記録が発表されてます。(余談ですが、そのメンバーのうちの一人は私の大学のクラブのOBです。)スタイルに関しては詳細が抜けてますが、要はハーケンなどを使ったエイド交じりの登攀であったようです。

では、フリークライミングは?初めて行った人物ではないですが、今の沖縄のフリークライミングの系譜のルーツの一人であることには間違いないかと思います。


GW特集~ちょこっと昔話Part2~

そう、RIVERA DAVID。1980年後半あたり、北部の座津武エリアやPartyRock(当時はPartyLineと呼ばれていた。)、辺戸岬(宇佐浜エリアではない)や残波岬でもTR(トップロープ)で登っていたとのこと。
かの沖縄を代表するルートの一つ”EasyMoney”(5.10a)も彼の作品です。当時彼に我々琉球大学のワンゲルが一緒に登りに連れて行ってもらったメンバー達の後輩が、私や私の仲間、後輩にあたります。

だから偉そうに彼について書いている私ですが、実は一緒に登りに行ったことはありません(確か会ったことはあります)。いつもクラブの仲間から登りの話を聞いていただけでなので、はっきりと彼についての登りを明記することはできませんが、仕事の関係(米国軍属)で沖縄からいなくなった彼が残した数々のラインをその後目標とし登り続けた私にとっては当時あれだけの登っているレベル(コンスタントに5.11~5.12あたり)は雲の上の存在であり、またレジェンドでした。

座津武南壁のTRルートをその後私がボルトを打ちリードルート化した際、ようやく彼に少し近づけたか
なと悦に浸ったものです。そしてその後も彼を追い続け”DAVIDコレクション”を登り続けたものでした。

現在彼はどこでどうしているのか全くわかりませんが、登り続けていると思っています。どこかで出会い、沖縄クライミングの話がいつかできることを願っています。

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